品川祐、今何してる?テレビで見ない間に”監督”が本職になってた話

タレント・芸人

最近、品川庄司の品川祐さんをテレビで見かける機会が減ったと思いませんか?「あれ、品川さんってどうしてるんだろう?」って気になっていた方も多いはず。

実は私も気になってちょっと調べてみたんですが、驚きました。品川さん、今や立派な映画監督として大活躍していたんです。それもハリウッドから声がかかるような本格派監督に。

今日は、テレビで見ない間に品川祐さんが辿った道のりを一緒に追っていきましょう。

品川祐は今何してる? “嫌われ芸人”を経て映画監督へ

地上波テレビから姿を消した真相と当時の葛藤

2000年代後半、品川さんは『ヘキサゴン』などのバラエティ番組で大活躍していました。でも同時に、一部では「嫌われ芸人」というレッテルを貼られていた時期でもあったんですよね。

当時、品川さんは34歳で初監督作品『ドロップ』を手掛けることになりました。芸人がいきなり映画監督デビューするなんて、周囲の目は厳しかったと想像できます。

映画スタッフからは「映画の勉強もしてきていない奴が」と思われないように、品川さんは毎晩のように各部門のチーフと飲みに行ったそうです。「こういう風に撮りたいんですけど、映画としては間違ってますか?」と謙虚に意見を求めながら作品を作り上げていったんだとか。

正直、この姿勢には頭が下がります。プライドを捨てて、現場のプロフェッショナルたちから学ぼうとする姿勢。これが後の成功につながったんでしょうね。

映画監督「品川ヒロシ」として確立した独自のポジション

品川さんは監督としては「品川ヒロシ」という名義を使っています。2009年の『ドロップ』から始まり、『漫才ギャング』『サンブンノイチ』『Zアイランド』と作品を重ね、2023年には累計発行部数650万部を突破するヤンキー漫画『OUT』の実写化にも成功しました。

『OUT』では倉悠貴さんや醍醐虎汰朗さんなど若手俳優を起用し、アクションシーンにも力を入れた作品に仕上げたとのこと。観客からは「品川の才能に脱帽」という評価も寄せられているんです。(Filmarks)

品川ヒロシとしてのポジションは、もはや「芸人が片手間でやっている監督」ではなく、「れっきとした映画監督」として認められている証拠だと思います。

制作現場で徹底している「テレビ時代の反省」を活かしたチーム作り

品川さんが『あちこちオードリー』に出演した際、興味深いことを語っていました。

「俺、テレビで嫌われきったから。映画界では同じ轍は踏まないぞ」

テレビでの経験を反省材料として、映画の現場では徹底的にスタッフとの関係づくりを大切にしたんですね。(テレビ東京プラス)

さらに、演者から制作側に回ったことで気づいたこともあったそうです。制作スタッフは何カ月も前から話し合って、役者を素敵にカッコよく撮ろうとしている。同様に、自分が演者だった時も「スタッフの中で俺のことをつまらなくしようと思って撮っている人なんていない」ということに気づいたんだとか。

だからこそ、自身の作品では「温かい味噌汁を置いておくだけで、役者のモチベーションは全然違う」と、現場のケータリングにも気を遣っているそうです。こういう細やかな配慮が、良いチームワークを生むんでしょうね。

海外でも注目!世界を視野に動き出す監督活動

国内映画『OUT』シリーズの成功と国際映画祭での評価

品川監督の作品は国内で着実に評価を積み重ねてきました。特に『OUT』は、ヤンキー映画というジャンルながら、若手俳優たちの熱演とスピード感のあるアクションシーンで多くの観客を魅了しました。

映画レビューサイトでは「バリエーション豊かなアクションシーンが楽しい」「品川監督が楽しんで撮っているのが伝わる」といった好評価が目立ちます。

こうした国内での実績が、次の海外進出への土台になったと考えられます。

今後の海外進出構想とグローバルな表現への意欲

そして驚くべきことに、品川さんにはアメリカからゾンビ映画のオファーが舞い込んだんです。

作品名は『Among the Dead(アモング ザ デッド)』。アメリカを拠点とするPeople of Culture Studiosと吉本興業が共同製作する長編ゾンビ映画で、品川さんが監督を務めることになりました。(映画ナタリー)

実はこれ、偶然ではないんです。品川さんは40歳の時に「50歳までにアメリカでインディーズのホラー映画を撮る」という目標を立てていたそう。そのためにYouTubeにゾンビ映像をアップして実績を作り、WOWOWで40本以上のドラマを撮って経験を積んできたんです。

朝早く起きて英語の勉強も欠かさないという品川さん。アメリカでの撮影では、予算が大きいため高速道路でのカーチェイスなど、日本では難しい撮影も可能になるとのこと。「やりたいことの幅が広がる。だからアメリカで撮りたい」と語っています。(東洋経済オンライン)

監督だけじゃない!50代で挑戦し続ける表現者としての活動

柔術大会で見せた”挑戦し続ける力”

品川さんの挑戦は映画監督だけにとどまりません。なんと、2025年2月には柔術大会「Asia Jiu Jitsu Cup 2025」のマスター5青帯フェザー級にエントリーすることが発表されました。

52歳という年齢で格闘技の大会に挑戦する姿勢には、本当に刺激を受けます。品川さんは2018年に初めて柔術大会に挑戦し、判定負けを喫しています。それから6年、白帯から青帯へとステップアップして再挑戦するんです。(ルミナスジム)

多忙な芸能活動の中で柔術を続けてきたその努力は、同世代の中年男性にとって希望の星と言えるでしょう。

相方・庄司智春との絆と新たな舞台への意欲


品川さんが監督として活躍する中、「品川庄司はどうなるの?」と気になっている方も多いはず。

実は品川さん、『あちこちオードリー』で「28年経ってようやくできる、ある漫才」について語っていました。相方の庄司さんとの関係は良好で、お笑いコンビとしての活動も続けているようです。

さらに品川さんは「相方の庄司と小さな小屋でもいいからアメリカで英語でネタをやって、現地のお客さんを笑わせたい」という夢も語っています。そのために英語を勉強し、アメリカの文化を学んでいるんだとか。

映画監督として成功しても、芸人としての原点を忘れない。この姿勢が素敵だなと私は思います。

逆算の思考法が支えるクリエイターとしての信念

品川さんの成功の秘訣は「逆算の思考法」にあると言えそうです。

「目的地を定めて、日々やることを具体的に逆算していく」

これは芸人になった頃から心がけていることだそうです。例えば「テレビのバラエティー番組に出る」という目標を立てたら、まず前説を目指す。前説に呼ばれるためにオールナイトのライブをやって力をつける。こうして一歩ずつ目標に近づいていくわけです。

また、目標はできるだけ具体的にすることも重視しています。「飲食店をやりたい」ではなく「インドの南部のこの地方の名物カレーを出すお店をやりたい」というように。具体的であればあるほど、周りの人がサポートしやすくなるんですね。

この思考法があったからこそ、40歳で「アメリカでインディーズのゾンビ映画を撮る」という目標を立て、それが実現したと考えられます。

品川祐の今後の展望|60歳で見据える大作への挑戦

アクション映画の極致を追う最新構想

品川さんの野望は止まりません。なんと60歳の時には「製作費100億円以上のアクション映画を撮りたい」と語っているんです。

そのためにスタント技術、特殊なカメラ技術、カーアクション、格闘技など、さまざまな分野に習熟する必要があると考えているそうです。60歳の時に声をかけてもらえる自分でいるための実績作りも欠かせません。

この壮大な目標設定には驚かされますが、品川さんなら本当に実現してしまいそうな気がします。

配信プラットフォームで広がる活躍の可能性

品川さんは「Netflixなどの監督を何本かやっておく」ことも視野に入れています。

現代の映像業界では、NetflixやAmazon Primeといった配信プラットフォームの存在感が増しています。こうした場で実績を積むことが、次の大作へのステップになるという戦略なんでしょうね。

実際、『あちこちオードリー』では若林さんに「Netflixの人紹介するけどね」と助言する場面もあったとか。業界内でのネットワークも広がっている証拠だと思います。

「バカにされるのが最高」――逆転の成功哲学

品川さんの面白いところは、成功しても謙虚さを失わないところ。いや、むしろ「バカにされること」を楽しんでいるようにすら見えます。

「夢は、アメリカで大きい映画を撮って、日本に帰ってきてバカにされてるっていうのが、自分の中で気持ちいい瞬間かもしれない」

こう語る品川さん。ハリウッドで活躍しながらも、日本では番組でイジられる。そのギャップが気持ちいいというんです。

また「大きな家に住みたいとか良い服が着たいとか、今何もない。ユニクロのTシャツで十二分」とも語っています。名誉や物欲ではなく、純粋に「好きなことをやる」「挑戦を楽しむ」ことが原動力になっているんですね。

撮影が終わって飲むお酒のおいしさ、編集を終えて飲むお酒の染みわたること。その瞬間を味わうために日々積み重ねている、と。この姿勢には共感せずにいられません。

まとめ:テレビで見ない間に手に入れた”監督”としての本職

品川祐さん、テレビで見かけなくなったのは決して消えたわけじゃありませんでした。むしろ、映画監督という新たなフィールドで着実に実績を積み重ね、今やハリウッドから声がかかる存在になっていたんです。

「テレビで嫌われた」経験を糧に、映画の現場ではチームワークを大切にする。40歳で立てた目標を具体的に逆算して行動し、50歳でアメリカ映画の監督に。そして60歳では製作費100億円の大作を目指す。

52歳で柔術大会に挑戦し、相方とアメリカで英語の漫才をやりたいと夢を語る。

私が品川さんの話で一番感じたのは、「人生に遅すぎることなんてない」ということです。年齢や過去のイメージに縛られず、新しいことに挑戦し続ける姿は、多くの人に勇気を与えてくれると思います。

次に品川祐さんの名前を見かけたら、「あの人今何してるんだっけ?」じゃなくて、「次はどんな作品を撮るんだろう?」という期待を持って注目してみませんか?きっと、また新しい挑戦をしている品川さんに出会えるはずです。


※記事の内容は2026年2月時点の情報に基づいています。

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